建立情報
建立日: 天保6年2月
建立者: 川口右文(竹人の子孫)
季語
花守
一里は皆花守の子孫かや
解説
元禄3年の作で、ここに八重桜があったとのことで訪れた芭蕉がすでに枯れているのを知り詠んだ句といわれている。「いがの国花垣の庄は、そのかみ南良の八重桜の料に附けられけると云傅えはべれば」と前書して『猿蓑』の載っている。書あは芭蕉真筆の模刻と推定される。
俳人情報

建立日: 天保6年2月
建立者: 川口右文(竹人の子孫)
元禄3年の作で、ここに八重桜があったとのことで訪れた芭蕉がすでに枯れているのを知り詠んだ句といわれている。「いがの国花垣の庄は、そのかみ南良の八重桜の料に附けられけると云傅えはべれば」と前書して『猿蓑』の載っている。書あは芭蕉真筆の模刻と推定される。